10年以上使ってて慣れてるからってのが一番ですが、後、TMTOWTDI に共感するからってのもあります。
まず、たくさんの書き方があれば、それだけ読み手に色んなことを伝えられます。文章を書く時に、一人称を「僕」「俺」「私」のどれを使っても意味は一緒ですが、相手に与える印象は全然違います。コードも同じで、表現のレパートリーが多いというのは、それだけ様々なことを読み手に伝えるポテンシャルを持っているということになります。コードはロジックだけを伝えられればいいってものではなく、書いた人間の意図まで正しく伝えることが重要だというのは、誰もが認めるところでしょう。
また、自由度が高いものの方が、進化する伸びしろがあります。使い方がきちんと1つに決められている物は美しいですが、それ以上の使い方はできません。逆に、何に使うかわからないものまで含めてたくさんのものが混在しているような状況では、創意工夫でそれらを組み合わせて色々な物が生まれてきます。Perlにおいて未だに新しい記法やテクニックが生まれているのは、そのような背景からです。
TMTOWTDI と聞いて、Perlは混沌としてごちゃごちゃしたものだという印象を受けるかもしれませんが、それは違います。Perlの利用者は、TMTOWTDI に対して自分で適切なルールを作って制限し、それに従ってPerlを使っています。これは、本来完全に自由な存在であるはずの人間が自ら法律を作って社会を形成しているのと似ています。TMTOWTDI という自由な土壌があるからこそそれを制御するためのルールが生まれ、さらにルールは時代や環境に合わせて常に育っていくのです。始めからルールがきっちりと整った言語では、ここまで柔軟な進化は望めません。