1 月 11 日に父が 69 歳で亡くなった。 2020 年 8 月 3 日に動脈瘤が破裂して救急搬送され、 2021 年 10 月 17 日に再度破裂して再手術、そして、三度動脈瘤が大きくなったため年始から手術に臨んでいたのだが、難度の高い手術で予定を大幅に上回る 15 時間もかかってしまい、その後血圧が安定することはなかった。
正直に言うと、自分のショックはそこまで大きくはない。最初に倒れてからは、常に万が一の事を考えて後悔がないように行動していたし、今回の手術に関しても医者の説明などを聞いていると相当な難易度であることは想像できた。かと言って、 2 度破裂していることを考えると 3 度目も破裂すると考えるべきで、どんな難易度でも手術は受けるしかなかったわけだ。恐らく父も同じ考えで、年末年始にかけて色々と LINE が来ていた。自分で取り寄せた魚介を捌いて丼を作り、「包丁を握るのもこれが最後だな」と LINE もくれていた。父はもともと水産加工の会社を経営していたのだが、今でも衰えない見事な包丁裁きだった。
そんなわけで、自分の気持ちの整理はついた状態で帰省して母と葬儀の準備にあたったわけだが、話をしながら母は手術を勧めたことを後悔していること、そのせいで気持ちの整理がついていないことがわかってきた。そもそも離れて暮らしていた自分と違って父とずっと暮らしていたわけで、ショックが大きいのは当たり前ではある。いつも笑顔を絶やさない母で、今回も気丈に振る舞ってはいたが、会話の節々で辛さを感じられた。帰省中は他愛のない会話をたくさんして、少しでも悲しみを忘れられるように努めたつもりだが、それが正しかったのは今となってはわからない。もしかすると、共に悲しむ時間も必要だったかもしれない。
葬儀については、父が生前にばっちりと準備していてくれたお陰で、滞りなく終わらせることができた。ほとんどの作業は葬儀屋がやってくれたが、父が亡くなってから葬儀屋を探したり葬儀の段取りを決めたりするのはほぼ無理ゲーで(それでもやるしかないのだが)、生前にきちんと用意しておくことは大事なことだなあと思った。初めて親族として葬儀に関わって、ちょっと不謹慎かもしれないが、葬儀という儀式は大切なものだと感じた。父の遺体に向き合って線香をあげると、ザワザワする心が少し落ち着いた。故人の今までの温情に感謝するとともに、遺族がこれからを生きるための心の準備をするために、葬儀という儀式は大切だ。
よく言われることだが、葬儀でいろんな親戚と会うことができたのも良かった。どうせなら生前に揃ったほうが・・・と思うのは山々だが、これは誰の葬儀でも言えることなので、仕方がないことだろう。故人についていろんな話をするにつれ、全く知らなかった父や親戚の人生についても多少は知る機会となった。
昔から、両親が死んだらどうなってしまうのだろうという漠然とした不安を持っていたが、葬儀が終わってみると、特にどうにかなるものではなかった。葬儀はあっという間に終わるし、その後の自分の生活は今まで通りに続いていく。ただ、そこに父がいないだけだ。人間はいつか必ず死ぬものなので、死を過度に恐れる必要も忌み嫌う必要もない。ただ、生きている間は、自分の人生と、身の回りで支えてくれる人々の人生を、大切にしたいなあと感じた。
最後に、父について遺しておこう。父は裕福ではなかったし学歴があるわけでもなかったが、賢い人間だったと思う。浜の人間らしい荒々しいところはあったが、しっかりと考えて行動し、自分が決めたルールは絶対に破らないという強い意思も持ち合わせていた。毎日大量の魚を捌きながら、夜は遅くまで六法全書で法律を学んでいる父を見て子供心にすごい人だなと思っていたし、あれだけ毎日何本も吸っていたタバコをきっぱりと辞めた精神力にも感服した。独裁者のような絶対的な厳しさを持つ父だったが、それは家族を心底愛していたからこそできることだろう。その証拠に、父のことは今でもとても尊敬している。良い父だった。心から冥福を祈っている。