いわきのホテルを出て、常磐線をさらに北へ向かう。目的地は福島第一原発だ。常磐線が全線開通したのは 2020 年 3 月 14 日のことだが、その頃はまだ駅の周辺しか立ち入ることができず、自転車で駅間を移動するのは不可能だった。国道6号を自転車で通行できるようになったのは2022年8月30日であり、常磐線開通から2年半を擁したのである。
富岡で下車し、浪江駅を目指す。雨がパラついていたが、30分程で天気予報の通り上がってくれた。
富岡周辺は、特に変わった様子はない。非常にのどかな景観で、サイクリングを存分に楽しむことができた。もっとも、震災前にここがどういう地域だったのか、ただの通行人の自分には知る由もない。
ほどなくして夜ノ森駅に到着した。ここまでは国道 6 号を通る必要もなく、田舎道をのんびりと走ることになる。
夜ノ森を出た後に向かうのは、福島第一原発の最寄り駅である大野駅である。国道 6 号を使って向かうことになるが、ここからは徐々に通行止めの脇道が現れてくる。大野駅の周辺は大規模な工事中で、ほとんどが更地になっていて工事車両が仕事をしている。西口には遠回りをしていく必要があった。
駅舎は新しかったのだが、大熊町のウェルカムプレートはあえて古いものをそのまま使っているのだろう。
駅には線量計が着いている。大熊町、双葉町では他にも線量計が置かれている場所があった。
さて、ここから双葉駅へ向かう予定だったのだが、大野駅周辺の避難場所として 5Km 先の大熊町役場が指定されているのを目にした。徒歩 70 分かかるようである。 70 分もかけて避難するのか、と興味が出てきたので、行ってみた。
大熊町役場の周辺はおおくまーとという施設になっていて、コンビニや飲食店、美容室や電器店が集まっている。駅周辺はまったく人気がなかったが、おおくまーと周辺はきちんと生活感があり、安心した。温浴施設があったり、 GW にはコンサートも開かれるようである。
おおくまーとから双葉駅を目指すために、再び国道6号に向かう。途中の草原は、ほとんどすべてが帰宅困難地域で立ち入ることができない。原発事故の悲惨さを改めて知ることになる。
熊町農村公園という公園があるのだが、ここも帰宅困難区域である。この地域は、「大熊町熊」と呼ばれる地域のようである。よほど熊が出るのだろうか。
国道 6 号を再び進み、左折をすれば双葉駅だったのだが、先に右折をして東日本大震災・原子力災害伝承館を目指すことにした。中では震災や第一原発についての資料を見ることができる。 3/11 から時系列で水素爆発やメルトダウンの様子を振り返ると、当時の緊迫感がありありと蘇ってくる。突然故郷を追われた子どもたちのことを考えると、子を持つ親としてとても心苦しくなる。
伝承館を出て、津波の被害を受けた地域を走る。ほとんどの建物は取り壊されていたが、残されている建物もいくつかあった。
このガードレールは、津波によるものなのだろうか? ちょっと判断がつかなかった。
こちらの建物はマリンハウスふたばで、津波の到達時刻で時計が止まっている。この先は帰宅困難区域だ。
この民家はあえて残されているもので、津波の危険性を後世に伝えるために保管する予定のようだ。
請戸小学校は全員の避難に成功した奇跡の小学校である。震災遺構として残されていて見学ができるようなのだが、残念ながら休館日だった。
沿岸部を後にして、浪江町を目指す。浪江駅と、道の駅なみえに立ち寄った。道の駅は GW 用にいろいろと準備されており、恐らくかなりの人手があるのだろうなあと予想される。大熊町や双葉町と違って、非常に活気があった。せっかくなので、甘酒プリンなるものを頂く。
最後に、国道 6 号を南下して双葉駅に至った。双葉駅周辺には新しい建物が次々と建っていた。役場ごと山間部に避難した大熊町とは対象的に思える。それとも、避難指示が解除された時期の違いによるもので、大野駅周辺もこれから大規模に開発されるのだろうか。
今回、福島第一原発の周りを回ってみて、改めて原発事故の恐ろしさを感じることができた。その一方で、不謹慎ながら、住民が極端に減っているせいで、サイクリングするには快適であるとも感じた。サイクリング中に遭遇した車はごく僅かで、伊豆大島を回ったときと似た感覚に陥った。幹線道路である国道 6 号についても、大型トラックが走ってはいるものの、交通量はそれほど多くなく、後ろさえこまめに確認していれば危険を感じることもなかった。 浜通りにナショナルサイクルルートを作る計画 も動き出しているようだ。この地域が、震災前の生活を取り戻せる日が一日でも早く来るように、祈るばかりである。